| 聾唖のピエロの風船売り | 連載『ノラネコロジー』が次回、サウジアラビア(王様や皇族がいる、いわゆる首都機能があるのがリヤド)のジェッダという紅海に面する商都の山中に生息するらしい'マントヒヒと野良猫たち'に触れるが、ここでとっておきの、私の若き"アラビアのローレンス"の(ように!)砂漠を翔びまわっていた頃の・・・セピア色に色あせたフィルムを引っ張り出ししてみようか・・・・・・ | 僕はほんの二三日、リヤドの建設業の見るからにベドウイン(砂漠の遊牧民)上がりの大成功者Xさんのジェッダにある別荘に泊まり、厚くあくまで禁欲的に、持て成されたことがある。 仕事はリヤドでそそくさと済ませていたので、ロンドンへ向かおうと、半ば開放された気分でジェッダ空港でのチェックインを早々と済ませ、ほぼ満員の待合室で、タバコをやらない一匹狼の孤独は所在なく、搭乗者の一挙手一投足を映画をみるように眺めていた。 顔ぶれは、5〜6人のアラブ人を除き、全員、明らかに、アラブの気象や宗教色の希有な経験の緊張からやっと解かれたという安堵の表情を顔に浮かべた白人ビジネスマンと夫人達とふざけ盛りの子供達の一行であった。
その日はやたらと重く濡れるというような異常多湿の熱い日だった。その上、四半世紀前のアラブでは、日常茶飯だった「換気扇もエアコンも故障!!」と、おまけに「到着機大幅遅れ」のアナウンスにため息が加わり、空気は一段と重さを増し息苦しくさえあった。 やがて、搭乗口待合室に案内され、いよいよというのでわれ先にホットしたいという心理になるらしく、一瞬、愚衆がざわめき、身構えて2〜3m動いた。イライラが募る完全条件がそろい部屋中が重い鉛色に包まれたその瞬間、間髪を入れず、胡瓜型の風船を片手に闖入してきたのは、謎の年恰好50半ばの聾唖のサウジアラビア人であった。空気が凍り、全員息を詰め次の瞬間を見守った。
日本の、世界の空港を想像してみればいい。そんなアホな、ありえないと十中八九口を揃えていうだろう。・・・・・保守国らしく、幾重ものあの通関を抜け、最終搭乗待合室までありとあらゆる道程(みちのり)を越えてなんと・・・・・。炎熱に焦げた歴史を彫んだ顔には照れ笑いを薄く浮かべながら屈託なく、身振り、手振りで"わたしゃ石油王国サウジの世界一の風船売りアブドル・ラハマンでござる"とアラビア語で自己紹介したげに、しかし吃る(どもる)ばかりで言葉にならないからよけいもがき、終には、道化を演じてみせる。一つの風船を空に放ち、また一つ放してはフラフラ翔んで行く先をバタバタ戯けて必死に追っかける。それは文字通りプロ中のプロ、世界一の風船売りピエロの迫真の演技には一同、笑の渦が広がった。高々おつり程度の小銭しか集まらなかった。いかにも痛々しく哀燐を禁じえない一生忘れられないひとコマだった。
彼の出自も、なぜそんなことになったのかを知る由もない。 彼を受けとめるその心は、・・・・「インシャーラ(神の御心のままに)、マレーシユ、マレーシュ(何か約束を忘れても気にしない気にしない)ブックラ(明日があるさ)」とか、物乞いには"喜捨"で応ずるのは当たり前、という鷹揚さと宗教の成熟度の高さと、それが文化にまでなっている社会に解く鍵があるのだろう。 猫を'重要な動物'とアラーが言及する国の底知れぬ凄さに驚くと同時に、風船売りと、わが人生を重ね合わせ、ひとのひたむきさと強さに感動すると同時に、とも角悲しい。 彼の国の宗教観とわがそれとの差異を思い知らされる。 老婆心ながら、アラブ人には"ネコ"と言うのはタブー! それは女性の"聖所"という意。カツ子、カツオ ともイタリアでは禁句ですね。 | |