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「ミーという名のネコ」 南 伸坊(イラストライター)
ミーがいなくなって、もう16年も経ったんだなァと先日ツマと話した。
結婚した年に住んだ公団アパートに、ツマが知り合いになった猫がいた。郵便受けのあたりで、ひとしきり遊んで「じゃあねー」といって帰ってきたら、そのままついてきた、というのである。
それで、家にあげて、またしばらく遊ぶと「じゃあねー」といって、外に出している。ツマは、飼いたいと思ってたらしいが、結婚当初でもあり遠慮があったのだろう。私は猫を飼ったことがなかった。
「また遊ぼ、ハイハイ、じゃあねー」
といって外に出すと、玄関のドアをガチャリと閉めて、ツマはドアスコープから外の様子をしばらく見ている。
そんなことが何度かあった。ツマはコドモの頃からネコ好きで、ネコと楽しく遊ぶコツを心得ているようだった。ネコと遊ぶツマも楽しそうだが、ネコもまたひどく楽しそうなのだ。
ネコは野良のキジネコで、野良のわりにひねこびたところがなく、顔も姿もキレイだった。野良といっても、どこかで飼われていたのが、引越しかなにかで、おいてかれたとかそんなことらしい。ツマだけでなく、団地の住人にもよくなついている様子だ。
ツマの遊ばせ方は、なにかよく動きまわる小動物がいつも自分をタテにして隠れている、という思い入れらしかった。その小動物は人間の掌のような形をしているが、こちらを見るとすぐに陰へ隠れる。そのスピードがムヤミに素早いだけでなく、手足のツメが床をひっかく音が、カサコソいっていて、それが、
「どうしても捕まえてやる!」
と闘志をかきたてるのだった。
私は食卓で、原稿やイラストを書いていたのだが、ついついその小動物の動静を目で追っているうちに、いつの間にかネコ側に立った物の見方をしていたらしい。
掌は捕まえに行かないと、だんだん増長して、表に出てきてバカにするように挑発する。そのくせ、こっちが突進しようと身構えた途端に逃げて、あさっての方から顔を出したりする。
あっちに突進し、こっちの物かげからじっと様子を窺い。遂につかまえたッ! と思った瞬間おそるべき力で空中宙返りをさせられたりする。時に向こうから反撃してくることもありなにしろ寸刻の油断もならない。
そうこうするうち
「ハイ、ほんじつはこれまで!!」
といきなりゲームは終了されてしまうのだった。
「じゃあねー」
と、いつものように玄関のドアが開けられて吾輩はいつものようにそこから出た。と思った。
私は玄関の廊下に立っていた。なんだかつられていっしょに歩いてきたもののようだった。
ツマはドアを閉めると、その日は、台所に洗いものでもあったのだろう。踵を返してダイニングの方へ戻っていった。
そのときである。私はフトいつもツマがするようにドアスコープをのぞいてみよう、と思ったのだった。
きっとネコがすたすた帰っていくところが見えるのだろう、と思った。
いつもはそれをゆっくり見守ってから、ツマは戻っていくのだろう。どんな様子でネコは歩いていくのだろうか……。
ドアスコープに片目をくっつけて、私はギョッとした。
「目が合った」
からである。
スコープの丸いワクの底のところに、小さくネコがいて、上を向いている。まるでむこうからもスコープをのぞきこむような感じでいっしんにこっちを見つめているのだった。
「おーい!」と私はツマを呼んだ。その日からネコはミーという名のネコになった。
南 伸坊(みなみ・しんぼう) 1947(昭和22)年、東京生まれ。イラストレーター、文筆業。赤瀬川原平に師事したのち、青林堂「ガロ」編集を経て、独立。エッセイに自らイラストをつける手法により、イラストライター(イラスト+ライター)として活躍を続ける。素朴な描線の似顔絵は評価が高い。軽妙なエッセイの著作も多く、本の装丁も手掛けている。主な著作『本人の人々』(マガジンハウス)、『笑う茶碗』(筑摩書店)、『李白の月』『顔』(ちくま文庫)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『仙人の壺』(新潮文庫)など他多数。
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