「猫にも小判は必要」      今井美沙子(ノンフィクション作家)


 今、ここに、一万円札が一枚あるとする。あなたなら一万円札を前に何を想像するだろうか。

 ふたりの女友達にきいたところ、本好きの人は「単行本が四、五冊買えるかなと思うわ」というし、外食好きの人は「ランチ、五回分くらいかな」と答えた。

 私の場合は百円の缶詰のキャットフードが百個買えるわと思う。

 現在、私は内猫四匹と外猫六匹ほど、計十匹ほどの世話をしている。

 ほどと書いたのにはわけがある。

 夜遅くや夜中、我家に食べに来る猫たちの数を把握していないからである。

 内猫はすべて元は外猫であったが我家にご飯を食べに来ているうちに、なついて内猫になったのである。

 従って六匹ほどの外猫もいつかは内猫になる可能性は大いにある。

 私は今年還暦を迎えたが、この年になるともうほとんど物欲はなくなっている。

 今、あるものを大切に手入れして暮らしたらいいと思っている。

 しかし、金欲はわずかだが、ある。

 といっても自分自身のための金欲ではない。猫の世話を十分にするのに必要なお金だけは欲しいのである。

 知人で近所の空き地や自分の家のまわりで暮らす四十匹ほどのノラ猫の世話をしている人がいる。彼女は猫のために、長年貯めていたヘソクリの大半を使い、残り少なくなったので、家で不要の物をフリーマーケットに出して、その補充につとめている。

 一、二匹なら家計をやりくりして何とかなるが十匹以上となると、食費の他に避妊や去勢の手術費などがかさみ、家計のやりくりだけではまかないきれなくなる。

 幸い、私の場合は書くことや講演で収入を得ているので、家族に気兼ねなく猫の世話をできることはありがたいと思う。

 夫には「わたしは何もぜいたくしたくないねん。内猫も外猫も幸福やったら、わたしも幸福やねん。せやから猫にお金かけても何もいわんといてね」といってわかってもらっている。

 私の生家(長崎の五島列島)の父母は無類の世話好きで、誰彼の区別なく受け入れて、食べさせ、飲ませ、泊らせていた。

 「人の世話ばするとに、計算ばしたらいなかとよ。米がいくらで魚がいくらで、酒がいくらでと計算しとったら、とてもじゃなか、人の世話はできんとよ。人の世話ばするには太っ腹になること。そして、おなご(女)であっても何か手に職ばつけて自分でお金ば稼がんばよ」

 というのが母の考えであった。

 母は和裁をして稼ぎ、その稼ぎで人の世話を心おきなくしたのであった。

 母はまた、「自分が人にしたことはすぐに忘れろよ。じゃばってん、自分が人にしてもろうたことは一生忘るんな」ともいった。

 年を重ねるにつけて、私は母のいったことばを今の自分の身に置きかえて考えてみる。

 人を猫にかえて考えるのが今の自分に一番ふさわしいと思う。

 猫の世話をするのに計算してはいけない。 自分が猫にしたことはすぐに忘れて、そのかわりに猫にしてもらったことは一生忘れてはいけない……。

 私の猫に対する思いは『猫はエライ』、『やっぱり猫はエライ』(いづれも樹花舎)に書いたが、幼少の頃より猫と道連れで生きてきた。

 猫によって教えられ、導かれてきたと感謝をこめて思う。

 その感謝の思いをこめて、私は都会の片隅で隣近所に気兼ねしつつ内猫、外猫の世話を続けている。同じく、私以上に猫の世話をしている人たちと会うと、「猫にも小判は必要やよね」といい合っている。



今井美沙子(いまい・みさこ) 1946年長崎の五島列島に生れる。1965年来阪。1977年『めだかの列島』(筑摩書房・2002年清流出版より復刊)で出発し、著書多数。最近刊『60歳・生きかた下手でもいいじゃない』(岩波書店)、『家縁 大阪おんな三代』(作品社)がある。