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「猫の媚態」 伊藤 桂一(作家)
私の家のまわりを散歩している猫が二匹いる。クロちゃんとシロちゃんで、クロちゃんは体の大きな黒猫、シロちゃんは小型の白猫。たぶん二人は友達同士だと思う。二匹とも飼猫で、歩き方や顔つきでわかる。
家の屋根の上を、ミシミシと音をさせて歩くのはクロちゃんで、シロちゃんはあとについて歩いている。時に、足音が、ドスンドスンと人の歩くほどにひびくので驚かされるが、私の家は、屋根板がだいぶ傷んでいるので、クロちゃんが力を入れて歩くと、足音がひびくのである。
昔、私の家では、母と妹が猫好きだった。私は「猫の上京」という小説を書いたことがある。不肖の息子私は、借間住まいで、家族を呼びたいが能力がない。家族は、母と妹と猫のトラ吉の三人だが、猫を中心にしているのがわが家の生活方式なので、家族を呼ぶには、三人一緒を考えねばならなかった。
そのころ、私の小説が、たまたま懸賞に入選して、賞金が三万円入ったので、思い切って、猫も一緒に暮らせる部屋を借りたいと思い、周旋屋さがしをさせるために、妹を呼んで手伝わせた。人づきあいのいい妹は、部屋さがしをし廻って、しまいに周旋屋たちと懇意になり、猫の喜びそうな貸し間をみつけた。二階家で二階二間を貸してくれる。室代は八千円(昭和二十五年頃である)。諸雑費を払うと、用意していた三万円の行先も心細くなってきた。ただ、働き者の母は、借りていた豊橋の市営住宅を上手に売って、トラ吉ともども息子の所へ移転してくる――という内容が私の小説部分である。
母や妹に熱愛されているトラ吉には、少々の特技もあった。おすわりをするし、火鉢に妹と両手を出しあって火にあたる。こちらがニャンといえばニャンと返事をする。「マチマチね」というと食べものに口を出さず、「どうぞ」といわれて食べる。この猫は、市営住宅にいた時、近所の子どもたちと友達づきあいになり、子どもが捕ってくるドジョウをニャゴニャゴニャーンといってせがむ。ラジオが浪花節を放送すると、うっとりと聞き惚れながら、尻尾で拍子をとる。
その当時から六十年余りが過ぎた。現在の私たち夫婦は、私の多忙のためもあるが、雑事にも追われるばかりで、つまり、猫の手も借りたいくらいの事情のなかで暮らしている。
ある日、家内が裏の座敷の掃除をしていると、シロちゃんが、窓の向こうの隣家の塀の上にいて、しきりに呼びかけてきたという。シロちゃんをみかけると、家内はいつも、「今日はシロちゃん、いつも元気ね」と声をかける。しかし、この日のシロちゃんは、妙に用がありげな気配をみせていた、という。
「いつもと違って、とてもやさしい声なのね。甘えるように、呼びかけてくるのよ。この世で、こんなに情のこもった、やさしい声を出す猫ちゃんなんているのかしらん、と思うくらいにね。それも、呼びかけながらに、首をゆっくりと曲げ、顔を覗き込んで、ニャオオン、ニャオ、オオオンと、その声の抑揚のすばらしさ。つい、うっとりして、シロちゃんのお歌お上手ねえ、といってほめると、いかにも嬉しそうに、首をかしげるのよ。ほんとに、びっくりさせられてしまったわね」。
家内の報告に向けて、私は、
「シロちゃんは、なにかの理由で、きみに飼ってもらいたくなったんじゃないかね。ふつうの媚態じゃない。よその飼猫だけど、考えてあげなさいよ。ぼくはかまわないから」
と、答えた。家内は、ふふふ、と笑って、
「でも、クロちゃんはこわいわね。私と眼が合うと、じっとみつめてきて、私のほうで眼をはなさないかぎり、じっとみているのよね」と、首をかしげる。
「クロちゃんのも、やはり媚態なのさ。でも、どちらを選ぶかとなると、ぼくはシロちゃんにするかなぁ」と私はいったが、猫の本心については、よくわからない。
伊藤 桂一(いとう・けいいち)1917年(大正6)三重県生まれ。 昭和13年より終戦まで7年間の軍隊勤務を経験。戦後、出版社に勤務。昭和36年『蛍の河』(文藝春秋・光人社)で直木賞受賞。昭和58年芸術選奨文部大臣賞。昭和59年『静かなノモンハン』(講談社)で吉川英治文学賞。昭和60年紫綬褒章受章。日本芸術院会員。平成7年より義仲寺・落柿舎の庵主。著書に『犬と戦友』(講談社)『最後の戦闘機』(光人社)『隠し金の絵図』(学研)『秋草の渡し
』(毎日新聞社)など。
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