|
わが「猫」探偵帳より 半藤一利(作家)
●某月其日
ひさしぶりに早稲田南町の「漱石公園」を訪ね九層の石塔を拝む。「吾輩は猫である」の猫クンの死後十三回忌のときに建てられたもので、一般に「猫の墓」と呼ばれている。
漱石の家にいること四年間で、明治41年9月13日にこの猫が死んだとき、漱石は鏡子夫人に強要されて哀悼の一句を詠んだ。
この下に稲妻起る宵あらん
猫のよく光る目を稲妻にたとえたところに、 漱石俳句の面白さがよくでている。なんて気楽に決めていたら、ちょっと違うことを最近
になって見つけた。随筆「永日小品」に猫の目の稲妻がこんなふうに書かれている。
「(猫の目は)次第に怪しく動いて来た。けれども目の色は段々沈んで行く。日が落ちて微かな稲妻があらわれる様な気がした。けれども放って置いた。妻も気に掛けなかったらしい。小供は無論猫のいる事さえ忘れている」
名なしクンの、だれにもかまわれない寂しい死の前夜である。漱石句の「稲妻」は、生きんとする猫クンの最後の意思のかがやきであったかもしれない。
拝礼をすませ公園でしばし憩っていると、漱石の猫の句がいくつか思い出されてきた。
恋猫や主人は心地例ならず
のら猫の山寺に来て恋をしつ
真向に坐りて見れど猫の恋
いやはや、ぜんぶ恋猫の句とは!? われながら恐れいった。
●某月其日
明治時代の新聞をパラパラしていたら、漱石家の名なしの猫クンが亡くなる前の九月五日、朝日新聞で面白い話を見つけた。猫を逆
さまに吊るして高いところから落とすと、空中でくるりと身をかわして見事に四つ足で立つ。何でもないようであるが、考えてみると実に不思議。そこで、この猫の宙返りを解明せんと、雛形をつくって実験してみた学者がドイツにいたというのである。
「…雛形を逆さに吊るす。そのとき尻尾は下に垂れているが、糸を切って落とすと同時に、バネ仕掛けで尻尾がくるりと百八十度回転する。そのはずみで胴体も宙返りをして四つ足で立つ」
であるそうな。言われてみれば、なるほどであるが、じゃあ、尻尾のほとんどない猫はどうするんだい?の疑問が湧いた。
●某月其日
「御伽草子」のなかの「猫の草紙」を読み思わずククククとなりたり。
慶長七年(1602)八月、鼠をとるため猫を解き放つ布令が京都に出た。驚いた鼠どもは寺の高僧に布令の撤回を泣訴する。やむなく高僧は猫たちに向かって、食事に鰹節を加え、ときには高級な魚も加えるから、鼠をとることを控えてはくれまいか、と妥協案を出す。猫は断じて承知せず。「われらが鼠を食べるのは、人間が米を食うのと同じく、天道の定むるところなり」と。この道理に高憎は返す言葉もない。かくて京の鼠は一族郎党を引きつれて都落ち……で、話はお終い。
あらざらんこの世の中の思ひ出に 今ひとたびの猫なくもがな
じじといへば聞き耳立つる猫殿の 眼の中の光おそろし
このとき鼠の詠んだ愉快な歌である。
●某月其日
難解で有名な、芭蕉の高弟の其角の句に、
ねこの子のくんづほぐれつ胡蝶哉
という、楽しい句がある。まだ乳をのんでいるような可愛い子猫同士が、上になり下になりして戯れ合っている。そこへ蝶がひらひ
ら、というのどかな春の一景なり、と解していたら、「くんづほぐれつ」しているのが猫の子と蝶々である、と頑強に言い張る御仁が
あり、これにはびっくりして腰の蝶番がガクガクとなった。
世の中には不要の知恵を不思議にめぐらす癖のある方がいるものよ。まったく人生いろいろ、人間もいろいろなり。
半藤一利(はんどう・かずとし)
1930年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋に入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、取締役などを経て作家に。93年『漱石先生ぞな、もし』(文藝春秋)で新田次郎文学賞受賞。98年『ノモンハンの夏』(文藝春秋)にて山本七平賞を受賞。著書に『日本のいちばん長い日』(文藝春秋)、『昭和史』(平凡社)など。時代感覚と文化的視点から『出来事』を分析し、斬る達人。
|