|
「骨皮筋子の最後」 山田洋次(映画監督)
デパートの屋上で、ただで配っていたからつい貰っちゃった、飼っていいでしょうと娘が親指ほどの黒ネコの子どもを通学カバンに大事そうに入れて帰ってきた。
もう二十年近く前のこと。
ネコは好きなほうではある。大学の寮の一室で白ネコを飼っていて、卒業試験の時にお産が姶まったので世話に手間を焼いて危うく落第しそうになったことがあるくらいだ。
それにしても小さい黒ネコである。ネコの子というより子ねずみ。薄汚れていて蚤がうようよしていて気持ちが悪い。とても育つまいと思ったが、妻が掌に乗せて大切に世話をはじめた。人間の子育ては下手だけど猫の仔育には自信があると豪語する妻だけあって、スーパーで仕入れた鯛の刺身をすり身にして小さく丸めて口に入れてやり、夜は自分のあごの下にはさんで寝るといった献身的看病の末、瀕死の黒ネコの仔を立派に再生させてしまった。栄養失調で痩せ細った雌だから、骨皮筋右衛門ならぬ筋子と命名、愛称はスージー。
哀れな捨てネコの分際なのに、保護過剰気味に育てたのがまずかったか、とんでもない美食ネコになった。ネコと人間の味覚が共通しているというのは不思議なのだが、たとえば魚なら河豚と鮎はゴロゴロ大喜びで喰らいつくし、鰺の干物ならスーパーで買ってきたのは見向きもしないくせに、鎌倉の名店「鈴伝」からの到来物のにおいがすると飛んで来て食卓の上に飛乗るといった有様。それまで飼っていたピーという名の白ネコが自分の食器に盛られたキャットフードしか喰わなかった行儀よさとは大違いだった。痩せの大食いとからかわれながらも、この甘やかしすぎのスージーは結構しぶとく十四年も、思春期の娘たちと彼女らの大切な年代を共有しながら生き抜いた。
犬と違ってネコは死に際はいさぎよい。家を出て家族の見えないところで死ぬのが常である。先代のピーが隣家の庭で死んでタオルに包まれて届けられた経緯があったので、あきらかに死期のせまったスージーが表に出たがるのを制して居間の机の下にタオルを敷き
「ここで死ぬのよ」
と妻が言い聞かせたら、それが分かったのかスージーはカなく横たわって死期を待つ風だった。スーパーで買い求めた鯛の刺身のすり身を与えてももう食べようとしない。
娘たちがかわるがわる手で撫でてやるうちに、スージーはふと片手を出してその掌にさわった。上の娘、下の娘、そして命の恩人の妻の掌と順番にさわり、それが最後の挨拶なのであろう。
「ニャー」
と幽かな声で鳴くと力尽きたようにぐったりと体を伸ばし、十四年の生涯を閉じたのである。その日の夜更けまで、妻や娘たちがどれほど泣いたことか。
ぼくが死ぬ時も家族はあんなに悲しんでくれるのだろうかと、時々不安になる事があるのだが。
山田洋次(やまだ・ようじ) 1931年大阪生まれ。幼少時を中国東北部(旧満州)で過ごし、47年に日本に引き揚げる。55年松竹大船撮影所に入社。以後、2000年にこの撮影所が歴史を閉じるその年まで、この場所で映画を製作する。主な作品として『男はつらいよ』シリーズの他、『馬鹿まるだし』『家族』『故郷』『幸福の黄色いハンカチ』『息子』『学校』シリーズ、『たそがれ清兵衛』など。最新作は、藤沢周平原作の時代劇『隠し剣鬼の爪』。04年文化功労者に選ばれる。
|