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「猫あれこれ」 野坂昭如
ぼくと猫とのつき合いが始まったのは、娘たちの希望により、ヒマラヤンが我が家に現れて以後のこと。およそ二十年になる。
それまで、食わず嫌いならぬ飼わず嫌いだった。
子供のころから、戦争中を除き、ほぼずっと犬と一緒だった。娘たちにせがまれなければ、いまだに犬派だっただろう。
野坂家最初の猫の名はダダ。このダダにふさわしいお嫁さんをと、雌猫アンジュを迎えて以降、子孫繁栄、さてこのヒマラヤン一族何匹になったことやら判らない。多いとき我が家には八匹いた。これに犬、鳥も加わる。犬はこれまでシェパード、ブルドッグ、コリー、ハスキー。鳥は九官鳥、イヌワシ、オウム、ふくろう、カラスまでも飼い、常に生き物はいろいろいた。
現在、ダダのひ孫だかやしゃごにあたる雄のヒマラヤンクラ太と、日本猫のアルとニコの三匹と同居中。ほかに外猫。外猫は、入れ代り立ち替り常に数匹。腹をこわし
たのや、母猫になったばかりの、また、いい家に飼われていたと思しきおっとりした猫。ノラネコ諸氏は、ヒョロヒョロ、キョトキョト、あるいは悠然とやってくる。
警戒する猫しない猫、毎日来るのもいれば、訳あり気に時折ヒョイと顔を見せる奴。いずれもよく食べ、それぞれにたくましい。
やがてカラスが、自ら及び、子供のために外猫の余った餌を食べ始め、そのうち慣れると餌すべて自分たちのものとみなし遠慮会釈なく食べる。腹が減って、食べ物があり、これを食べられるならまことにめでたい。ぼくたちはただニコニコ笑って眺めるだけのこと。世間では、カラスは毛嫌いされているらしいが、ぼくは生き物全般
だいたいが好きだ。
クラ太は、人間の歳でいえば、とっくに九十歳は過ぎている。親、兄弟がいなくなったせいか、一時期しょんぼりしていたが、アルとニコのおかげで春がよみがえった。
この二匹に、すれ違いざま身体を擦り寄せ挨拶されると、一瞬五体こわばらせるが、避けるでも怒るでもなく、まあまんざらでもない様子。しかしプライドの高い彼、自分からはまず寄りつかぬ。
アルとニコは兄弟で、たぶんニコが姉。生後まもなく我が家にやってきた。名前の由来はアルコールとニコチン、読者諸賢お察し下さい。
雄のアルは茶トラ、筋骨たくましくがっしりしている。子供らしい無邪気な仕草を見せる反面、気位が高く無口というわけでもないが、一種の雰囲気を纏っている。
つまり、彼がぼくに背を向け庭を眺めている時、いかにも物思いに耽っているようで、声を掛けにくいのだ。
ひきかえ雌のニコは小柄な三毛猫、とにかくよくしゃべる。一度呼べば五度ぐらい返事が返ってくる。テーブルの上に仰向けになり、半眼で当方を見つめ、フニャーと
甘えた声を出す。自己アピールに卓越した才能の保有者。
また、ぼくが妻にあれこれ注意を受けていると、どこからともなく現れて、ニャーニャーと呼びまわり止めに入る様子。もしくは一緒になってぼくに文句を言っているのかも知れないが。これにはさすがの妻もあきれて笑いだす。
これまで、多くの猫たちと暮らしを共にし、その死に方を見てきた。苦しんだ猫はいなかったと思う。そもそも死は自然のこと。犬や猫について言えば、我が家では予防接種、寄生虫の駆除ぐらいはしても、ことさらな延命処置は行わなかった。寿命を知った生き物たちは自然な死を迎え、自然に還る。本来、人もこうだったのだろう。
ぼくは、死について動物たちに学びたいと念ずる。
野坂昭如(のさか・あきゆき)作家
1930年神奈川県鎌倉市生まれ。早大文学部仏文科に在学中からアルバイトでさまざまな職業を遍歴し、CMソング、コント、テレビ台本などを書く。63年『おもちゃのチャチャチャ』でレコード大賞作詞賞を受賞。67年には『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞を受賞。作家活動と並行して参議院選挙立候補、歌手など旺盛な活動を続ける。02年『文壇』で泉鏡花文学賞受賞
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