「プーコになったピョンコ」      西木 正明(作家)


 むかしむかし、と言っても、そんなに古い話ではなく、せいぜい十七、八年ぐらい前のことです。わが家に、一匹の犬がいました。名前をピョンコというこのビーグル犬は、とても賢い美犬でした。

 問題は、彼女が手に負えないわがままかつ激しい気性の持主だったことです。とりわけ若い頃は、飼い主のわたしにすら怒りの牙をむき、噛みつきました。

 とはいえ、美人で誇り高い♀がわがままかつ激しい気性であるのは、犬にかぎったことではありません。わたしは満足して彼女と生活を共にしておりました。

 そのピョンコが老いて寝たきり同様になった一九八〇年代末。わが家にもう一匹の犬が来ました。ラブラドル・リトリーバーのジャガーです。ラブラドルは盲導犬になるほど温厚な犬です。ジャガーはしきりに老いたピョンコの機嫌を取って仲良くなろうしました。しかしピョンコは、寝たきりの身でありながら、自らの四、五倍はあるジャガーが近づくと、鼻にしわを寄せてウーとうなり、時にはジャガーの鼻先を噛んだりしました。そのピョンコも最後は寛容になり、ジャガーのおだやかな眼差しに見守られて昇天したのです。

 さて、時代は流れて三年前の冬。突然わが家の庭先に、一匹の猫が現れました。生後半年前後と見受けられる漆黒の雌猫で、痩せた見すぼらしい風体でしたが、金色の大きな目は炯々と輝き、全体としてはとても稟として美しかったのです。

 時は二月の厳寒期。哀れに思ったわが家の息子と娘が、段ボール箱を横だおしにして、床にタオルを敷き、入口には古新聞をカーテンがわりに張りつけて、玄関脇の軒下に置いてやりました。それが気に入ったのか、黒猫は夜になるとそこにもぐり込み、タオルの上で丸くなっていました。

 こういう状態になってから約一週間後の夜九時すぎ、突然居間の窓の外で物音がしました。何事かと思ってカーテンを引き開けて驚きました。今しも窓の外側にある網戸が、じりじりと開きつつあるではありませんか。その向こうに、炯々と光る金色の目。息をのんで見守るわたしなどまるで無視して、自分の身体が通れる位に網戸を開けると、黒猫はわたしに向かってニャーと鳴きました。月光煌々の快晴ながら、寒さがひときわ厳しい夜でした。一瞬ためらった後、わたしはつい、ガラス窓を開けてしまいました。すると黒猫は、当然のような顔をして、部屋の中に入ってきたのです。 そしてそのまま、生まれた時からここにい たような顔をして、居ついてしまいました。 ラブラドルのジャガーは、すでによわい十 六歳になっていて、足元もおぼつかない状態でしたが、持前の親切心を丸出しにして、この黒猫と仲良くなろうとしました。

 ところが黒猫は、自分の二十倍から三十倍もの巨大犬に対して、ファーッと威嚇の声をあげるばかりか、時には鼻に猫パンチをくらわせて、せっかくのジャガーの厚意を受け入れようとはしなかったのです。プーコの名前の由来についてですが、野良公は人間でいえばプータロー。そしてこの子は女の子だから、プーコ。わが家の犬猫の命名はいつもこうです。ピョンコとジャガーについては、恥ずかしくて言えません。 プーコは美しい猫ですが、気が荒くて怒り っぽく、飼い主のわたしも、ひっかかれたり噛みつかれたりしました。そんな時はいつもある種の既視感にとらわれたものです。 さて、ジャガーもいよいよ老齢になり、一 年半前からはついに寝たきりになりました。 するとどうでしょう。あれほどジャガーに対してわがままだったプーコが、一転して優しくなり、まるで看病でもしているかのように付き添って見守るようになりました。 ジャガーがついに息を引き取り、骨になっ て帰ってきた時は、骨壺のそばにしょんぼりとうずくまって動こうとしなかったのです。

 それを見ていた誰かが言いました。
「あんなに気が荒かったあんたがねぇ。もしかしてあんたは、ピョンコなんじゃないの」

 生きとし生けるもの、心を通わせて可愛がれば、いったんは去っても、また姿を変えて帰ってくる。そう思えば、別れの悲しみも癒され、犬の顔が猫に、猫の顔が犬に見えてくるから不思議です。


西木 正明(にしき・まさあき)
1940年 秋田県生まれ。  早稲田大学教育学部社会学科中退後、平凡出版(マガジンハウス)入社。『平凡パンチ』『週間平凡』『ポパイ』の編集部を経て、独立。88年『凍れる瞳』『端島の女』(文藝春秋)にて第99回直木賞受賞。著書に『其の逝く処を知らず』(集英社)ほか多数。訳書に『ゾルゲ引き裂かれたスパイ』(新潮社)などがある。