「エミはビジン」      篠沢秀夫(フランス文学者)


 エミはビジンだ。もらって来たヨチヨチ歩きのときからビジンだ。スラリとしている。くっきりした黒と明るい茶色のまだらが、和風であり同時に洋風。

 そして頭もいい。祖母が「家の中でオシッコするのはここだよ」とわらを敷いたかごを叩いて見せたら、いっぺんで覚えた!

 中学生だったボクは驚いた。頭いい!やはりビジンは頭もいいんだ。

 ところが大変!エミが育って妊娠した!もう大人なんだ。「ウーン、ウーン」と苦しむので、母が徹夜でお腹をさすってあげた。どういう男が手を出したのか。ボクもやってみたい。

 その翌日か、昼間、エミは庭に下りて産み始めた。ポロリとおしりから落ちた赤ちゃんに、後足で土をかける!祖母が黙ってエミの後ろへ廻って、赤ちゃんを拾い上げ、何だかこすっている。次々に産み落とす赤ちゃんたちに次々エミは土をかける。祖母は次々とこすって、ゼラチンみたいなものを剥がし、ボクに向かって「エミは初めてだから、わかんないんだよ、ウンコだと思ってるんだ」と笑った。そして産み終わったエミに「今度のときは自分で嘗めて取るんだよ」と言って聞かせた。

 次のお産のときには、エミはちゃんとそうした。 エミの子は皆可愛いのでたちまち、もらい手がつく。

 ボクが高一になった年、なんと母は犬の子をもらって来た。秋田美人がシェパードを恋人にして作った坊やだ。放し飼い自由のころにはよくあったことだ。まだ歩けない赤ちゃん。最初に会ったのはややひんやりした夜だったから、ボクの上着の横のポケットに入れ てあげた。そしたら、顔と両手を揃えて出した。でもその両手と顔の大きさが同じくらいで、もう何となく男らしい。「手が大きい子犬は大きくなるってよ」と兄が言った。その兄が当時凝っていたジャズのビーバップに因んで、バップと名付ける。

「犬なんか飼うなんてエミが可哀相よ」と反対していた妹も、エミ本人も、ボクのポケットから顔と手を出している小さなバップは可愛かったらしい。ニコニコ眺めていた。

 だが六ヵ月後にはバップは伸び切った。大田区の住宅地には舗装がなく、雨上がりに学校から帰ると、泥道に「お帰りなさーい!」とバップが飛び出して来て、ピョンと立ち上がってボクに飛びついたら、両肩にバップの両手が乗って、泥のマークがついた。

 ところが大きさに関係なく、バップはエミを母親のように敬う。

 春先、エミが縁側で日向ぼっこをしていると、バップが「コンニチハ」と近づいて来て、沓脱ぎの石の上にあがった。「フーッ!」とエミが息を吐き、縁側に爪を立て、腰を後ろに引いて身構えた。「アッ、ゴメンナサイ!」とバップは驚いて、沓脱ぎの石を降り、庭の隅でうずくまった。

 別の日に、バップもちょっと怯えている巨大土佐犬のおじいさんが訪ねて来て、バップを伴って、これまた縁側のそばへ来た。エミは知らん顔で寝そべっている。バップが「こちらはえらい奥様で」と紹介したらしく、土佐老犬は黙々と歩み去った。

「よかったな」とボクが振り向いたら、エミがいない!目で探したら、和箪笥の上にいた。キリッと首を立て、静かに腰を下ろして。

 このあとこれがエミのいつもの居場所となった。そのころからバップは遠慮して、庭よりも玄関横のヤツデの葉の下で寝そべっているようにしたのだけど。

 のち大学院を出て、フランス留学して帰国したら、エミもバップも、もういなかった。


篠沢秀夫(しのざわ・ひでお)
1933年 東京生まれ。 東京大学文学修士を経て、パリ大学にて仏文学教員免許状取得。実存主義哲学など、戦後の思想界に多大な影響を与えた現場を知る第一人者。現在学習院大学名誉教授。主な著書に『フランス語の常v識』(白水社)『大丈夫だぞ、日本人!』(小学館文庫)ほか多数。訳書に『モーリス・ブランショ〈至高者〉』(現代思潮社)『アルチュ―ル・ランボー〈地獄での季節〉訳・注解』(大修館書店)ほか多数。