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「猫が誘う諸行無常の理り」 竹宮 惠子(漫画家)
母は、私が生まれる前から猫を飼っていた。昔はお産の時に猫が近くを徘徊することすら嫌ったものだが、母は全くものともせずに、猫と一緒に私たち姉妹を育てた。
今でこそペットは家族の一員で、病気になればいつでも病院にかかることができるが、私が子供の頃には、「犬畜生」という言葉がまかり通っていて、人間様と同等の扱いをするなどもっての外、飼い犬がよそ様に噛みつこうものなら、飼い主の目の前で蹴り殺されても文句は言えなかった。猫は更に怪談そのほか、言い伝えのせいで気味悪がられて、分が悪かった。
「のれんに腕押し」と揶揄された母は、満州からの引き揚げ者であったが、何となく自分の場を作って、知らん顔で羽を広げるたちだったので、近所の非難も一向構わず、彼岸への旅立ちまでずっと猫を飼い続けた。
そういう環境で育って、私はことさらに猫をよく観察してきたと思う。彼らはどんな環境にあっても野生を捨てず、人間がどう見ようとも、そのすぐ傍で彼ら一流の営みを続けてきた。私に「動物」というものを教えてくれたのは、まさしく彼らだった。人間もまた「動物」の一端であり、少なからず共通点をもっていること、生き死には彼ら同様人間にも平等に訪れ、決して人間だけが優遇されているわけではないこと。人間の生き方がベストなわけではなく、生き方が限定されているように見える彼らの方が、もしかしたら「よい生き方」なのかもしれないこと。・・・そんなことを彼らから教わった。
あるとき、野良猫が庭の真ん中で産気づき、お産を始めてしまった。
「まぁね、人間だって、車の中でお産する場合があるもの」と母は言った。その強烈な印象は、生まれてくるものの生命力、母なるものの強さと一緒に私の中に残っている。また、納屋の中で生まれた野良猫の仔が、牡猫に食べられてしまったことがあった。現場を見たわけではないが、母や祖母が話しているのを聞いて、
「それは父親なの?」と尋ねずにいられなかった。
「いや、他の牡猫」と即座に返事が返ってきて、
「自分の子じゃないから食べるのよ」と言われ、妙な安堵感があったことも印象深い。それは、理解できる、という安堵感だった。「畜生だから」と祖母は言ったが、私には恐いことでも、気色の悪いことでもなかった。今、人間はもっと気色の悪いことをしている。愛してもいない子を生み、自分の産んだ子を普通に育てることもできない。かつての母親たちなら、十人中十人が、自分が飢えても子に乳を与えたはずだ。
母が私を生む前から飼っていた猫は、年老いて乳癌になっていた。老いてから産んだ仔はいかにも弱く、病気で固くなった母親の乳房から、それでも必死に乳を吸っていた。中学生になった私は、それをなんとか生き永らえさせてやりたくて、体温が下がっていく仔猫を自分の布団に入れて暖めた。しかし母猫の代わりをするには子供過ぎてまだ経験が足りず、次々冷たくなっていく仔猫をどうすることもできなかった。
「病気の母乳じゃ、どうせ病気が移って死んでしまうよ」と母は言ったが、そういう母が一番その猫をかわいがっていたのである。
人間よりも短い生の猫ゆえに、生い立ち、壮年、老い・・・そして死を、つぶさに見せてくれたたくさんの猫たち。思いがけずに短い生だったもの、事故に遭ったもの、行方不明になったもの。二十二年の生を全うした猫もいた。母はいっとき、自分のそばを通りすぎていった猫たちの思い出を、すべて書き残したいよね、と言っていた。多分、悲喜こもごもの自分の思いが、猫たちの上に重なって在る、そういうことなのだろう。
猫はいつも、じっと人間たちを見ている。長く生きた哲学者のような表情で。
竹宮 惠子(たけみや・けいこ) 17歳で集英社「マーガレット」新人賞に佳作入選、デビュー。徳島大学在学中、小学館「週刊少女コミック」に『森の子トール』を連載開始。上京して本格的な作家活動に入る。代表作に『地球へ…』『風と木の詩』『天馬の血族』ほか多数。近刊に『エルメスの道』(中央公論新社)『平安情瑠璃物語』(小学館)『竹宮惠子のマンガ教室』(筑摩書房)ほか多数。2000年4月より京都精華大学芸術学部マンガ学科の専任教授となる。
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