「あたたかな日々」      竹下 景子(俳優)
    
 我が家は四人家族。それが四人と一匹になったのは、次男が幼稚園、年中さんの頃だったから、十年も前のことになる。
 夏のある日。たまたま空いていた犬小屋に「その子」はちゃっかり居候を決め込んで、朝に夕に私達の前に現われた。すらりとした容姿のキジ猫。そこだけが別の生き物のように動く、しなやかな尻尾の持ち主だった。「きれいな猫」、家族の皆がそう言った。
 子供の頃から猫が好き。でも、飼えないものと諦めていた。喘息があって、猫などの毛は良くないと云われ続けてきたから。そうなると、猫と目と目が合っただけでくしゃみが出た。学生時代、茶道の先生宅へ伺う度に、玄関でグション、鼻水がツーッ。
不思議に思っていたら、ある時、襖越しに「ニャ―」と密やかな鳴き声がした。件の次男も私とよく似た体質をしている。「猫とは住めない」と悟ったつもりだった。
 ところが、実は皆「ノン」(誰かが、「野良猫だから『ノンちゃん』だね」と名付けて以来、我が家ではそう呼ばれている)のことが気になって仕方がなかった。獣医さんに連れて行ったら去勢手術済み、年齢は四才くらいとのこと。捨てられたのか、迷い子なのか、ともかく飼い主が見つかるまで預かろう、と話は即まとまり、ノンはめでたく五才だった次男の一つ下の弟分に納まった。
 とはいえ、すっかり外猫暮らしが身について、ご近所の玄関先の卵は無断で(当たり前だケド)失敬するし、軒下の鳥籠を落として、誕生日プレゼントだった長男の文鳥親子を襲い、挙句、あまりの騒ぎにすわとばかり走って来た犬達に、今度は自分が追いかけられるし(アァ、この食物連鎖!)早々に傍若無人ならぬ「無猫」(!?)ぶりを発揮してくれた。
 またその一方で、私の膝といわず肩といわずひらりと飛び乗っては「極楽、ゴクラク・・・」と喉を鳴らしている。寒さの夜は枕許で「添い寝」ならぬノンの「添い尻」。生来の話し好き、甘えん坊でもある。
 今の住まいには六年前に引越した。「猫は家に付く」と聞かされていたのでずいぶん心配したけれど、新居に着いてしばらくソワソワ歩き廻った後ふらりと外に出て、それでも、その日のうちに忘れずちゃんと戻ってきた。「頭いいね」と、誰しもノンを見上げる目になった。
 なる程ノンは知恵猫だ。(親バカ!)獣医さんに電話してると、決まってスウッといなくなる。「ヒロシマセンセイ」が分かるらしい。ここ数年ノンは、その広島先生に通院している。ネコ白血病。インターフェロンでウィルスの勢いを抑えている。炎症が体のあちこちに出て、治ったと思っても、またすぐぶり返す。そのせいか、当初七・五キロの体重が時に五キロを割るようになった。
 それでもノンは一向に気に病んだりしない。そこが動物の優れて賢いところだ。食欲の無い日はひたすら眠る。ひっそりと耐えている。自暴自棄になったりは、シ・ナ・イ。回復すれば途端にお喋りになって、私の足に体をすり寄せてくる。「ハラへったァー」と催促する。ハイハイハイッと私はツナ缶を空けに走る。子供に手が掛からなくなった分、夫婦して薬を塗ったり飲ませたり、人と人とのほつれも猫は繕ってくれるようだ。
 最後に、最近の新聞記事から。アメリカのある大学の研究によれば、アレルギーを持つ人は、幼児から猫等と共に生活した方が症状は悪化せず、むしろ慣れることが分ったという。ヤッパリ!あんなに過敏だった私の鼻の周辺、ノンが来てからずい分と落ち着いてるもの。もしかしたら、次男の体調もノンのお陰で事無きを得ているのかもしれない。近い将来、このいちばん身近な生き物とのかかわりがもっと見直される時が来るだろう。
 今では、我が家の誰もがノンの役に立ちたがってる。自分の出番と引き換えに、ささやかな満足と優しい気持ちをご褒美に貰う。私はといえば、膝の上の確かなぬくもりに手を延べつつ、「私がおばあさんになったら、臆せず傲らずいられるかなぁ」と霞がかかった。でも、真直ぐで真ん丸の大きな瞳に向かって呟いてみたりしている。

竹下 景子(たけした・けいこ) 名古屋市出身。高校在学中にNHK「中学生群像」に出演。48年NHK「波の塔」で本格デビュー。「クイズダービー」をはじめ、「北の国から」「モモ子シリーズ」「お江戸でござる」等テレビでの活躍をはじめ、映画「男はつらいよ」「学校」、舞台「お入学」「忍ばずの女」「樋口一葉」他、多数出演。
今後の予定/TBS月曜ミステリー「血痕」(今春放送予定)、新橋演舞場6月公演「喜劇 お江戸でござる」など。