「猫の政治活動について」      赤瀬川 原平

 猫は政治家である。いつも票を取りまとめようとして活動している。いまはもう家にネズミがいなくなったので、猫には仕事がない。だから毎日眠って生活しているが、 ときどき政治に目覚めて、これではいかんと、政治演説にくる。
ふつうは、
「にゃあお・・・」
と、テンテンのところに含みをもたせながら、人の目を見て、アイコンタクトというのか何か知らないが、よろしくお願いしますよ、と工作をする。私に一票を投じてくれるんでしょうね、という意味である。
 にゃあお・・・の演説とアイコンタクトだけでは足りないと思ったときは、握手を求めてくる。猫の場合はふつうの握手ができにくいので、鼻先をすりつけて、鼻でぐんと押したりして、体全体をなすりつけたりして、ぜひとも私に一票を、私にご支援を、と活動する。
 しかし猫というのは、全裸である。全裸の体をなすりつけたりして、これは選挙違反にならないのだろうか。
 でも猫だからいいのだ。猫の方も、猫だからという特例を承知している。その上で全身を使っての選挙活動をしている。
 なぜ選挙活動かというと、うちにはぼくと妻の二大勢力があるからだ。  以前は娘という第三党もあったが、いまはもう議会を離れている。
 ニナという雑種犬の第四党もあったが、昨年他界した。
 現在は二大勢力ということに整理されているから、うちの猫のミヨとしても政治活動がしやすい。Aの方に行って体をすりつけて、場合によっては膝に乗ったりして、私をひとつよろしく、と訴える。そしてBのところにも行って同じことをして、場合によっては爪で引っ掻いたりもする。
 そういうことをして、まぁこれだけ活動しておけば大丈夫だろうと、あとはまた自分の好みの場所に戻って、黙って眠っている。とりあえずやることをやったんだからと、後は票が熟してくるのを待っている。
 この場合の有権者としては、そんな選挙活動なんて無視して、場合によっては棄権しちゃってもいいんだけど、でもやはり人間だから、まったく無視するというわけにもいかない。時分時になると仕方なく台所に行って、かつお&おかかという缶詰をパカンと開けて、ミヨの茶碗に定量を入れてあげる。
 投票箱みたいなものだ。最近は海苔が好きだということが判明したので、上にきざみ海苔をパラパラと振る。
 ミヨが近くで寝ているのをよく見ると、じーっと寝たふりをしている。いや本当に眠っているのであれば失礼なことだが、でも猫は寝たふりするのが得意である。眼をつぶって、しかし耳だけはピンと立てて、有権者の動きを監視している。
 猫は政治家であると同時に、選挙管理委員会でもある。投票時間の締め切りが迫ると、市民にスピーカーで呼びかけたりする。
 うちではこれを「おらぶ」という。ぼくが子供のころ住んでいた大分県の辺りの方言で、叫ぶとかわめくというのに近い。 「にゃおう・・・ぎゃおう・・・」
と、それはそれは凄い声でおらびはじめる。そんなにいわなくてもわかったよ、といいたくなる。
 ところがこれが、食べた後にもはじまるから困るのだ。ちゃんと食べて満足したはずのところで「ぎゃおう・・・」とおらびはじめると、ちょっと意味がわからなくなる。
 何か要求するとか、なじるとかいうときに、大声でおらぶというのはわかるが、満足したはずの時におなじことをやられると、ちょっとわからなくなる。
 人間は猫の動きを政治活動と思って見ていたりもするが、ひょっとしたらぜんぜん違う、ただたんにカラオケ活動なのかもしれない。

赤瀬川 原平(あかせがわ・げんぺい) 1937年 横浜市生まれ 画家・作家。 またの名を尾辻克彦。(本名・赤瀬川克彦) 画家と作家の視点をあわせ持つ異才。路上観察学会など、独自の視点で事物を見るところから、芸術が生まれることを、実証、追求し続けている。六十年代「ハプニング」「イヴェント」を展開。七十年代『美術手帖』『ガロ』で活躍。八十年代「考現学」の講師と、活躍の場を広げている。『父が消えた』(文春文庫)で芥川賞受賞。『トマソン大図鑑無の巻』『老人力』(ともに筑摩書房)など、多数の著作と展覧会活動で、世に刺激を与え続けている。