「猫とともに食べる」     片岡義男

 仕事がひと段落すると、二階から降りてきてキッチンでコーヒーを入れる。そのコーヒーを濡れ縁に出て飲むのが、その頃の僕にとっての、日常のルーティーンのひとつになっていた。幅が二メートルほどある濡れ縁で、建物の庭に面した側の全体に、この濡れ縁があった。端から端まで歩くと三十メートルくらいあったと思う。ゆっくり四往復するあいだに、つまり百二十メートルほど濡れ縁を歩くあいだに、一杯のコーヒーを飲み終える。これはなかなかいい時間だった。
 この庭にある日あるとき、一匹の雌猫があらわれた。どこかの庭猫だったのではないか。人になぞらえると三十代なかばあたりか。姿の良い、賢く鋭そうな顔をした、ものに動じることのない、よく心得た猫だった。それまでいた場所を子供たちに明け渡し、自分だけ次の場所を求めて、僕の家の庭に立ち寄ってみたのではなかったか。
 庭の向こうの片隅にこの猫がすわっていることに、コーヒーを飲みながら僕は気づいた。猫のほうでも僕の存在を認識した。そしてその認識は一瞬のうちに完了し、自分は今日からこの庭にいることにしよう、とその猫は決めたのだと、いまでも僕は思っている。僕と猫とのあいだに、おたがいの存在を全面的に認め合う了解のようなものが、そのときのその一瞬のなかで成立したからだ。
 コーヒーを飲み終えると宅配便が届いた。煮干のいいのがあるので少し送る、という知人がほんとに煮干を送ってくれたのだ。その包みを開いて僕は煮干を点検した。煮干に関して僕はかなりうるさい。その煮干は確かに上出来だった。一匹を頭から僕は食べてみた。居間のガラス戸ごしに庭に向けた僕の視線が、顔を居間に向けて芝生に坐っているその猫をとらえた。そうだ、猫にも食べてもらおう、と僕は思った。だから僕は五、六本の煮干を持って濡れ縁に出た。濡れ縁から庭に降りたところにあるタイル敷きの上に、僕は煮干を置いた。猫がそれをどうするか見ていようと思ったが、ちょうどそのとき電話が鳴った。僕は居間に入り電話に出た。猫のことはそこで僕の頭を離れた。
 それから数時間後、夕食のためにテーブルについたとき、ふとガラス戸ごしに庭に目を向けると、濡れ縁にすわっているその猫の姿が見えた。そうだ、僕がいま夕食なら、この猫もまた夕食なのではないか、とぼくは思った。僕は猫の夕食を探した。鮭の中骨の缶詰があった。それを開き、蓋を折り曲げただけで缶のまま、僕は庭に持って出た。そして煮干を置いたのと同じところに、その缶詰を置いた。煮干の一件をそのとき僕は思い出した。煮干はどこにもなかった。この猫が食べたのだ、と僕は思った。
 次の日の朝、朝食を食べようとしておなじテーブルのおなじ席で椅子にすわると、ガラス戸のすぐ外にその猫がすわっていた。そうか、猫も朝食か、と僕は思った。鯵の干物をもう一枚、僕は焼いた。猫用ときめた皿にそれを置き、その上に御飯を少し載せ、そこへ味噌汁をかけてみた。〈鯵開き御飯載せ味噌汁かけ〉いい朝食ではないか。別の器に水も用意し、鯵や御飯が冷めたのを確かめて、僕はそれを濡れ縁の猫の前に置いた。猫は食べ始めた。
 濡れ縁のすぐ下のタイルに、昨夜の鮭の缶詰が、完璧な空き缶となっているのを、僕は目にとめた。庭に下りて僕はその空き缶を手に取った。缶の内部はじつにきれいになめつくされ、ここに鮭の中骨は入っていたことなど、まったくわからないのだった。新品の缶と言っていいほどに、それは見事なまでになめてあった。
 この空き缶はその猫からのメッセージだった、と僕は思う。「私は食べます」というメッセージだ。食べますとは、一日に何度かは空腹になります、ということだ。そして空腹になりますとは、そのつど食べるものをください、という意味以外ではあり得ない。だからそれ以後の僕の食事は、この猫とともに食べる食事となった。

片岡義男(かたおか・よしお)作家。1940年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒。『白い波の荒野へ』で作家デビュー。『スローなブギにしてくれ』で野生時代新人賞を受賞。70年代〜80年代に若者の圧倒的支持を受ける。著書には『彼のオートバイ、彼女の島』(角川書店)『ここは猫の国』(研究社出版)『東京青年』(角川文庫)『文房具を買いに』(東京書籍)など多数。