「猫は偉大なり」     松本零士

 我家の『ミーくん』は、何だか知らないが、とにかく巨大な大猫である。
 今まで共に暮らした猫は、通算二十匹以上、喜怒哀楽を共にして、悲しい別れを数知れずしてきた。
 猫様の寿命は、人に比べれば短く、おまえともいつか別れが・・・と思いつつ、多くの猫達を家族として迎え、家族として喪った。
 ミーくんと名付けた現在の巨大猫は、同じ名前を引き継いだ三代目にあたる。 一代目は雌猫の『ミーくん』、通称『ミーめ』、二代目も雌猫の『ミーくん』、通称『ミーめ』、又は『ミーにゃん』、そして三代目がこの巨大な『ミーくん』、当然これは雄猫様である。
 なにせ巨大で、おまえは猫か?と、時々問い掛けるほどのサイズで、これに匹敵する猫を見たのは、アフリカで出会ったアビシニアンの純血種と思われるライオン色した一匹だけである。
 おいでと声をかけたらノソノソと寄って来たのはいいが、近付くにつれ、しまった呼ぶんじゃなかったと、一瞬たじろぎ後悔したほどの猛獣的巨猫であった。
 今家族として暮らしている三代目『ミーくん』は、大体その時の猫と同じくらいの大きさである。
 これがしかし甘ったれで、巨体に似合わずおとなしく、聡明で、言うことはきちんと守って、悪さも、粗相も一切しないという穏やかな巨猫である。
 後足で立ち上がると一メートルは優に越えるわけだから、来訪された御客さんによってはタマげて怖がる人もいる。
 かくなるうえは、何処まで大きくなるのか楽しみにしている。
 猫の種別の本を見ていたら、この『ミーくん』とそっくりな猫が、絶滅寸前の純血種だとか何とか写真と共に書いてあった。まさかとは思うが、そうとも思える立派な巨猫様で.あるのは間違いない。
 よく猫は死期が迫ると姿を隠すといわれるが、それは苦しい時にいじくりまされるのが厭で、避難するというのが真実である。
 共に暮らした猫達は、二代にわたる『ミーくん』も、その他の多くの猫たちも、皆私の胸にしがみつき、家族の全員の顔を見上げ見回して、腕の中で眠りについて行った。その心臓の鼓動が止まる瞬間を感じるつらさは筆舌に尽くしがたい。
 愛猫を看取った事のある人は皆、御経験がある筈だ。
同様に、猫も又家族の様子を気に懸けているのは事実である。
 ひっくり返って、死にかけた振りをしたら、巨大『ミーくん』は私の指を一本一本鼻で押さえ、次には指をくわえて引き起こそうとしてくれた事がある。
 猫とは、そういう繊細な感情と神経と知能を持った生命体なのだ。
 別れは必ず来る。
喪った猫の中には、何者にか殺され捨てられたのもいた。
 我が子を殺された親の感覚と同じで、犯人が判れば牙をむく怒れる親虎となる。殺した奴には必ず天罰が降るであろうと信じている。