「巨匠たちと猫」     大林 宣彦

 ――その昔、この世は猫族によって、支配されていたのだという。だがある時、智慧者の猫が仲間たちを集めて語った。
「こんなにあくせく働いていったい何ほどの幸せがあろう。この世はもう人間共に明け渡し、彼らにせっせと働いて貰って、我らは楽をして暮らそうではないか」。
 こうして今では、猫に代って人間が奴隷の如く良く働き、猫たちは王公貴族の暮しを楽しんでいるのだという。
 何処で読んだか、話に聞いたのか、しかしなかなか頷ける話である。例えば何方の猫好きといわれる人の家に伺っても、威張っているのはむしろ猫の方で、お家の方はもうしっかり、猫様に傅いていらっしゃる。ノラ猫たちも自由人としての風格が有り、うっかりしていると此方の方が生き物の存在感としては貧相で見劣りがする。
 この話、《三毛猫ホームズ》を二作、その他のものも数えると全部で五作もその小説から映画化をさせて戴いた、赤川次郎さん辺りから伺ったのだろうか、それとも猫好きならば誰でも知っている、有名な話なんだろうか。
 出典をご存知の方がいらっしゃるなら、どうか御教授下さい。
 そんな訳で、猫は王公貴族なんだから、此奴を映画で使おうとすると、それは苦労するのです。犬のように尻尾を振り振り、頑張ってはくれない。確かフランソワ・トリュフォー監督の《アメリカの夜》という映画の撮影の裏話を語ったフランス映画の中で、猫の撮影が上手くいって、スタッフが全員で、もうそれはそれは大喜びするというシーンがありましたね。
 ぼくも前記、赤川さんの『名探偵・三毛猫ホームズ』シリーズの二作を始め、《HOUSE/ハウス》、《水の旅人》と四本、猫が主役の一角を占める映画を作っているが、その扱いにははなは甚だ苦労した。
 前作の《なごり雪》など、ほんの十秒に満たぬ、脇役とも言えない猫の登場場面のために、二台のキャメラを準備し、都合一時間近くフィルムを回した。演技指導など端から役に立たぬ。王様の為されるがままに撮影させて戴き、後で使える所を選んで、大切に使わせて戴くのみである。
 だから主役ともなれば、大変だ。《三毛猫ホームズの推理》では「名探偵ホームズ」君の活躍場面のために別班を編成、人物の登場場面とは別にたっぷり撮影させて戴いたし、同シリーズの《黄昏ホテル》ではもう勝手に振舞って戴き、ホームズ君が何もしないうちに事件が解決するという設定にした。《HOUSE》では主役のシロに扮したアカがスタジオの巨大セットの床下にお隠れになり、百名のスタッフが丸丸三日間、撮影のお休みを頂戴した。そしていよいよ撮影ともなると、手のあいた人間は皆、王様の周りに集まり各各が鈴や太鼓の玩具を手に、端から見れば狂気の百面相集団と化して、ホレホレホレ、コッチコッチ、ベロベロバーと大騒動。それを見ていたベテランの女優さんなど、まことに羨ましそうなお顔で「私もあんな風に構って貰いたいわねぇ」。
《水の旅人》は特撮映画だったから、予め猫のホースケだけを単独で、もう自由にさせておいて、色んなポーズや仕草を撮りため、その都度お好きなものを取り出して、それぞれの場面に合成する、というやり方を取った。これなら完璧な演技と思ったが、同時期の黒澤明監督の映画《まあだだよ》では、特撮合成無しのノラが、実写で名演技。王公貴族でも奴隷でもなく、威厳と礼節を合わせ持つ、自由で自然な生き物として、映画の中の一登場人物を演じていた。
 そういえば、今年九十歳に成られる新藤兼人監督にも『ノラネコ日記、―乙羽さんとドブ君たち』というえと文とに依る名著がある。名作《午後の遺言状》を撮りながら、愛妻乙羽信子さんの死を、隣人ドブ君たちと迎える淡淡とした日日を沁み沁みと語る。
 人間が人生の達人とも成ると、 猫族もまた、生き物同士としての、ある種の敬意を表してくれるようである。

大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)1939年広島県尾道生れ。幼少の頃から映画制作を始め、処女作は6才で作った手描きアニメーション『マヌケ先生』。大学卒業後、CM草創期と関り、「レナウン」や「マンダム」などを手がける。77年に『HOUSE/ハウス』で商業映画にも進出。78年には山口百恵主演の『ふりむけば愛』を監督し大ヒット。『転校生』(82)、『時をかける少女』(83)、『さびしんぼう』(85)は尾道三部作として若者の絶大なる支持を受ける。88年の『異人たちとの夏』で毎日映画コンクール監督賞を受賞。『ふたり』(91)から