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「猫と平和」 久里洋二
今までに、猫の絵を何枚ぐらい描いただろうか。大きな作品は百号で犬よりも大きな白猫を一匹ドカンと描いた。小さな絵は小豆粒ぐらいだった。
二十数年前、銀座の画廊で個展をした時、蒲鉾の板に絵を描いたのが、ねこ絵の最初だった。かまぼこ蒲鉾と猫、その組み合わせが面白かったからだ。
僕は猫をあまり好きではないが、猫の方も判っているみたいで、猫と目が合うと、猫は直ぐに逃げてしまう。
小学生の頃、化け猫の映画を沢山見ていたので、猫は、化ける怖い動物と信じていた。
その頃の猫の存在は、ネズミを捕ってくれる便利猫であって、やたらに繁殖した子猫を、大人達に川に捨ててこいと言われて、空の菓子箱に子猫を入れて、橋の上から捨てた。
戦時中、僕は中学生だったが、学徒動員で、飛行場を造っていた。やっと飛行場が完成した日の朝、ゼロ戦が飛んで来て、真新しい飛行場に着陸した。ゼロ戦の翼を手で触ることが出来て、とても嬉しかった。午後には爆撃機が飛んで来るとの事で、貧しい昼飯を食べて待っていたのだが、その日の十二時に天皇陛下のお言葉で、日本が負けたことを知って真っ青になってしまった。
飛行場は軍人達や、徴用労働者、愛国婦人会の人達で混乱していた。担当の先生が生徒を集めて、今日はこれで解散、明日は学校に集まるようにと言って帰った。
よく朝、一番に学校に行った。荒れ果てた校舎の中に入って見覚えのある教室に行って見ると、猫の声が聞こえた。机の下を覗いてみると、めす猫が子猫を生んで六匹も固まっていたのだ。
「わあ、こんな所で子猫を生んじゃってェ」と子猫を抱えてしまった。思わず涙が出てきた。昨日までの戦争戦争と言っていたのはなんだったんだろう。生徒の中にも、優秀な生徒は軍隊に入ってしまい、才能体カのない僕達を女子学生たちが、人聞の屑と叫んだのを覚えている。
教室に仲間たちが集まると、子猫たちを、みんなで抱っこして、
「この猫、一匹貰う」
と言いはじめて、子猫を猫好きの洋服の中に入れてしまった。
先生が現れて、
「何だ猫の声は?」
「この教室で猫が赤ちゃんを生んだのです」と六匹の子猫を両手で持ち上げて、先生に見せた。
「いいな、いいな、これからは新しい時代だ、こんな時に猫がこの教室で赤ちゃんを生むなんて、ついに平和が来た証だ、先生は嬉しい」と
先生も目を赤くして言った。
初登校は、勿論、勉強はない。洋服の中の子猫は温かく、懐炉のよう。真夏なので、帽子の中に子猫を入れて、家に持って帰った。子猫にやるミルクもないので、ミルク探しも大変だった。粉ミルクを町中探し回って湯でとかして子猫にあげた。大きな目に小さなべロ、ミルクをなめる姿は可愛い。
小学生の頃、橋の上から捨てた子猫のことを思い出した。菓子箱は、しばらく水面に浮いていたが、それがくずれて、沈み始めると、箱の中の子猫が、パッと散って、目の見えない子猫は土手の方に泳いでいくじゃないか。
隣のおばさんは戦争未亡人。子供の居ない家庭で、寂しい日々を送っているのを知って、この子猫を見せると、ぜひ、うちで飼いたいと言うことになって、そのおばさんに上げた。
今、猫の絵を描いているが、一服して未完成の猫の絵を眺めていると、子猫を川に捨てたこと、終戦の時の学校の教室の子猫を思いだしてしまうのである。
久里洋ニ(くり ようじ) 漫画家、グラフィック作家。1928年 福井県生。日本のグラフィック界草分けの存在。油彩、イラスト、アニメ、漫画、家具やお菓子の箱を使ったリサイクル・アートなど、実験的作風は多岐に渡る。特にシュールなアニメーション作家として、海外でも人気が高い。戦後間もない日本に、夢と希望を与えた作品は、今も進化を続けている。文化学院美術科卒。代表作アニメーション『人間動物園』著書『どんじり』(評伝社)ほか。
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