「さくらの花びら・うたう猫」 山口洋子(詩人)
私が眠りながら見る夢に、猫が現れたことがまだない。
遠く近く、恋猫の声が聞こえたあと、さくらの花びらがふる頃に、おぼろな遊びのように、悩ましい猫が、私の胸元にそっと寄ってきて、抱きしめてみたら、どんな気持がするだろう。ふと、思ったこともあったが。
そんな私に思いがけないことが起きた。海沿いの街を気まかせに散歩していた、或日、午後のことである。
巨きなアカマツと落葉樹、木のベンチが二つ、三つ、あるだけの、こぢんまりした公園をのぞくと、よちよち歩きの女の子の、手をひいた母親らしい後姿が、裏口の方へ歩いてゆくところだった。他に人影は見えない。入ってみると、不思議なほどの静けさだった。
ベンチに腰を下ろし、樹々の垣間に見える 雲を眺めていると、公園の隣、窓の広い二階家の塀沿いに、突然はっと現れた、大きな一匹の猫が、公園を横切ってゆこうとしているではないか。透明なうす緑のスクリーンから、自由に脱け出てきたような姿。真白な、流れるような毛並の、ところどころ、赤茶色の毛が、趣味のよい飾りのように混っている。
私は思わず、あの猫を、さくらの花びらの雨の中、走らせてみたい、と胸をどきどきさせた。四肢と体のバランスの見事さ、舞台ばえする日本的な、大人の猫である。愛されて育ってきた、だれかの飼い猫なのであろう。その姿に私は見とれていた。更に私を驚かせたのは、伸びやかな身のこなしで、公園を横切り、低い生垣の間から、通りの方へ去ってゆくその直前、多分、布であろう、真紅の首輪を巻いている顔を、やわらかく私の方へ向け、かつて親しかったものに、合図でも送るように、にやり、微笑して見せたのだ。目と目を合わせ、私たちは確かに、挨拶を交わした。
ベンチに残った私の唇に浮んだのは、詩人吉原幸子さんの作詩したことばだ。
―クロは きれいな野良犬だった。
シロは きれいな飼い猫だった
クロは ひと目でシロが好きになった…
(―胸ゆする歌になっている。――)
「好きなひとがいると、いくらでも書けるよ」と云う吉原さんと、二人で会う機会は、私には少なかった。彼女のまわりには、いつも女性ファンが大勢集っていた。
彼女の部屋を訪ねる、二人だけの時がやってきたのは肌寒い花冷えの頃であったと覚えている。私が久々に着た袷せの下、浅黄色の、ほんのわずかしか見えない半衿の、その色を素早く見つけ「あら、いいねえ」と云ってから「今日はね、あなたのために、料理の本を買ってきて、つくってみたんだけれど……」低い声で告げ、じっと深く私の目を見た。その日は、一度限りの、一幕ものの芝居の中にいるように二人向い合い、共に参加する仕事の話を済ませ、私は食べたことのない、吉原さん手作りの、牛乳入り洋風おじや(だそうな)を残さず食べた。時が過ぎ、帰り支度を始めたときになって、ほの暗い棚の上段の片隅にうずくまっている、黒に近い色の猫の、鋭く光る目に気づいた。その部屋の主(ぬし)、という風格、でっぷりした体。かすかな音さえ立てず、なにもかも知っていて、だが素知らぬ表情だ。吉原さんが琥珀色の液体の入ったグラスを、がしっと握る指も、煙草を咥えながらペンを走らせる横顔、夜の、優しい叫びも、猫はそこにいて、びくともせず、感じとっているのだろう。それからいくつかの季節が去り、或日、彼女は書いた。
―いつかかならずしぬ
わたしが
いつかかならずしぬ
ネコたちに囲まれて
(湘南文学より―)
ネコたちと触れ合い旅立った吉原幸子さんに伝えたい。
夢の中ではなく、おくてみたいに初めて、私をときめかせ、かなしいほど、ふるえさせた美しい猫と、みつめ合ったことを。猫の目の中に私がいて、体ぜんぶで、うたっていたよ、と。あ、空からふってくるのは、さくらの花びらだろうか。
山口洋子(やまぐち・ようこ) 詩人。神奈川県生まれ。洋楽器と歌、邦楽と共に、自作詩朗読をする。主な詩集『にぎやかな森』(絵・石原慎太郎)、『リチャードがいなくなった朝』。レコードのための詩集『ひとつの名前』(朗読・高橋昌也)、他。放送劇「一枚の絵」(川崎洋らと共作 芸術祭奨励賞)。主な作詩「誰もいない海」、欧米曲「花を恋い」、ペギー葉山歌「万葉の心を求めて」全曲、他。TVドラマ脚色「室生犀星作『蜜のあはれ』」(大山勝美演出)、近松作品脚色作詩「死ねない死の心中物語」(坂東三津五郎、朝丘雪路出演)。短い物語『恋のイソップ』(集英社)、『いまも青春の10人「第三青春期」』(講談社)、他。