「べつやく・しげるという名の猫」      別役実(劇作家)


 しげるというとら猫がいる。どうしてしげるなのかは知らない。娘がアパート暮らしをしていた時に、どこかから拾ってきて名付けたもので、アパートを引き払って帰ってきた時、連れてきて「しげるよ」と紹介したのである。その後娘は結婚して出て行ったのだが、亭主が猫アレルギーだそうで、しげるだけ家に残されたというわけだ。

 以来しげるは、平然と我家にのさばっている。いきさつがそのようであったから、いつの間にか「うちの猫」になってしまっていることに感心し、「さすが猫だね」と家内と話したりしていたのだが、それが「もっとうちの猫」であることを知らされたのは、或る日、しげるが病気をして私がその薬を、近所の犬猫病院に取りに行かされた時である。

 来意を告げて待合室に座っていると、間もなく薬を持った若い看護婦が窓口からのぞいて、「べつやく・しげるさん」と呼んだのだ。思わず「はい」と言って立ち上がったものの、何やらひどく居心地の悪い思いに襲われた。確かに私は「べつやく」家のものであり、「しげる」もそこで飼っている猫であるが、だからと言って「べつやく・しげるはないだろう」と考えたのだ。

 もしかしたらその犬猫病院では、飼い主と飼っているペットの名を、そのようにつなげて呼ぶことにしているのかもしれないし、だとすればしげるの方は与り知らぬこととなるが、とっさに私は、しげるが企んでもうひとつうちの中に入りこんだような、感触を持ってしまっていた。「おい、こいつはべつやく・しげるだよ」と、帰るなり家内に言って、ひとまずは笑ってみせたものの、その実内心では、一種の気圧された感じを持ってしまっていたことを否定出来ない。

 私は腰痛なので、居間にホットカーペットを敷いて、外から帰ってくると先ず、枕を置いてそこに横になり、背中をあたためることにしている。その枕を、しげるが占領するのである。しげる用の、毛布を敷いた籠が用意してあるにもかかわらず、私が帰ってくるとそこから出て、枕に上半身を乗せ、長々と寝そべっているというわけだ。

 「どいて」と言ってもどかない。手で押しやると、不承不承離れてゆくが、私が何かでちょっとその場を離れると、いつの間にかまた占領してしまうのである。

 しげるは少し太り気味で、体重も七キロほどあるので、ほかの猫のように「忍び足」で歩くことが出来ず(いくらか不器用なのかもしれない)、二階から降りてくる時などは、ドシン、ドシンと、地ひびきを立てる。「お前は猫なんだから、もう少ししなやかに歩けないのかい」と、その度に言って聞かせているのだが、当人にその気がないせいか、全く効果がない。

 しかし、具体的な所作振舞いはともかく、しげるが「うちの猫」となり、「もっとうちの猫」となり、更にその深部に入りこもうとしているであろう過程には、「忍び足」の感触が確かにある。いつの間にか私の枕を占領するやり口もそうであり、当初「どいて」と言ってどかせていたものが、そのうちに「悪いけどどいてくれない」と言っている自分に気がついて、我ながら唖然としたことがある。悪いわけがない。私がしげるを飼って、餌も与えているのであり、しかもその枕は、私のものなのだ。

 どうしてそうなのかわからないが、そのようにしてしげるは、忍びやかに我家の深部に入りこみつつあり、それに対して私も家内も、どうすることも出来ない。「お前ね、どうしてお前の腹が減ったころを見はからって、定期的に餌が出てくるのか、考えてみたことがあるのかい」と、時に言ってやりたくなるくらいだが、もはやその段階ではないかもしれない。いつかしげるが私を見て「お前は誰だい」と言ったら、私自身「ベツヤク・ミノルです」と言えるかどうか、ほとんど自信がない。



別役実(べつやく・みのる) 1937(昭和12)年4月6日、旧満州に生まれる。劇作家・童話作家。早稲田大学政経学部では、学生劇団「自由舞台」に参加。カフカ、ベケットらの影響を受け、62年被爆者の姿を不条理劇風に描いた戯曲「象」で注目を集めた。戯曲『ジョバンニの父への旅』、賢治童話の謎を読み解いた『イーハトーボゆき軽便鉄道』では独自の賢治論を展開。主な上演作品に、『どんぐりと山猫』を戯曲化した『山猫からの手紙』などがある。