「愛しのチャコ」 島地勝彦(作家・バーマン)


 拝啓 チャコさま。おまえが天国に行ってしまってからもう何年になるのだろう。でもおまえのことはいつも思い出している。おまえより可愛い猫はいないといまでも確信している。本当だ。おまえは少年だったおれにいろんなことを教えてくれた。言葉は通じなかったけど、ノン・バーバル・コミュニケーションってやつで、おれたちのこころは繋(つな)がっていたのだろう。チャコはオスだったけど、茶色と白の二毛猫だったから、単純にチャコなんて名付けてしまったことをいま後悔している。許してくれ。いまだったら、ルパンとかボーとかカポネとか洒落(しゃれ)て命名したところだが、小学校5年生のおれの教養では思い付かなかった。それからおれが上京するまで、おまえとは約8年間も毎晩一緒に寝ていたんだよな。おまえはまるで豹(ひょう)の子ぐらい大きくなったから、じつに頼もしかった。サカリがついて発情すると、いつも10日間は帰ってこなかった。そんな夜は寂しかった。おまえの匂い、毛触り、温もりが恋しかった。ある晩、おれがぐっすり眠っていたら、爪を立てずに頭をコツコツ叩(たた)いて起こすので驚いて枕元の灯(あか)りを点(つ)けると、可愛いメス猫とおまえがいるではないか。あのときはビックリしたが、「兄貴、このベッピンをみてくれ。兄貴も大人になったらこれくらいのベッピンと付き合うんだぞ」とおまえがおれに自慢しながら、忠告していることがすぐわかった。あれは一度限りのことだったので印象的に覚えている。

 まだキャットフードなんて気の利いたものがなかった時代だったから、ドンブリ一杯のメシに鰹節(かつおぶし)をかけただけのものをおまえはよく食べた。毎早朝オフクロが6時に起きて台所でカタンと音を立てると、おまえはおれの布団から抜け出して、階段をゆっくり降りて行き、そのドンブリメシを一杯食べてまた階段を上がってきておれの布団に潜り込んだ。8時ごろおれが親父(おやじ)にいやいや起こされると、おまえはおれと一緒に下に降りて行き、またドンブリメシを一杯喰(く)らう。昼はオフクロと一緒にドンブリ一杯喰い、夜は家族団らんの食事のとき食べ、さらに10時過ぎ最後のドンブリメシを一杯食べておれの布団に入ってきた。おれが学校に行くころ、おまえはまたおれの万年布団に寝に行く。おれは遅刻の常習者で、ホームルームは小中高ほとんど受けたことがない。寝坊の原因はおまえはわかっていると思うが、夜遅くまで布団のなかで本を読んでいたからなんだ。一方おまえは毎夜深夜の12時になると、おれの隣でアクビして起き上がり、夜の散歩に出かけて行った。障子の桟を4つも外してやっていたから、おまえは軽がる抜け出せたが、あの穴は冬は寒かった。でもおまえのためにはあれくらいの犠牲は何とも感じていない。だっておまえは可愛いヤツだったからさ。それにおまえはいつの間にかおれの隣で寝ていたものだ。おまえは珍しい猫で風呂好きだった。よくおれと一緒に入ったね。お湯に濡れたおまえは意外に小さくみえたぞ。やっぱり毛が多かったんだ。おれは大人になっても寝坊が直らなかったが、気が付くと編集者になっていた。いまは新宿伊勢丹でサロン・ド・シマジというシガーバーのバーマンをやっている。どちらも遅くまで寝ていられる仕事だ。

 おまえに告白したいことがある。おれはベッピンを探して女の旅に出て多くの女と同衾(どうきん)したが、猫はおまえ以外知らない。女は多穴主義だったが、猫は一匹主義である。おまえと似たような猫を何度も飼おうとしたが、どうしてもおまえの顔や仕草を思い出して飼えないのだ。おまえはおれの弟だ。いや素敵な兄貴だったかもしれない。オフクロに聞いた話によると、おれが上京してから、おまえは家族のだれの布団にも入って行かなかったというじゃないか。それでいておまえはおれが帰省して実家に帰ると、ちゃんとおれの布団に入ってきてくれた。本当にチャコは可愛いヤツだった。会いたいよう、チャコ。


島地勝彦 (しまじ・かつひこ)
作家・バーマン。1941(昭和16)年、東京都生まれ。その後、岩手県一関に疎開。高校卒業まで一関で青春を謳歌する。大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』の編集長の時、同誌を100万部売った名物編集長。集英社インターナショナルの社長を務めた後、作家に転向。『Pen』『Men's Precious』に連載中。また水曜日、現代ビジネスで『Nespresso Break Time@Cafede Shimaji』、木曜日、日経BPオンラインで『乗り移り人生相談』、金曜日、資生堂オンラインで『Treatment& Grooming At Shimaji Salon』をネット配信中。毎週土曜、日曜は新宿伊勢丹メンズ館8階のシガーバー「サロン・ド・シマジ」でシェーカーを振っている。著書に『甘い生活』『知る悲しみ』『アカの他人の七光り』(全て講談社)がある。