「うちのおばあちゃん」 法月綸太郎(作家)


 わが家の猫はみどろという。親は野良で、京都市北区の深泥池(みどろがいけ)付近で拾われたから、みどろという名になった。雑種のメスで、耳が大きく、しっぽの先がL字に曲がっている。みどろと呼ぶと、その曲がったしっぽを振って返事をする。うちに来てから十四年、箱入りのかわいい子猫だったのが、今ではすっかりおばあちゃんだ。

 十歳を過ぎるころから、だんだん動きにキレがなくなり、冬場は一日中寝てばかり。遊びの相手をしてやっても、人間より先に飽きてしまうみたいだ。狙いのポーズのまま固まって、途中で気がそれ、悠然と前肢をなめだしたりする。

 歳を取って運動量は落ちたが、そのぶん口数が多くなった。鳴き声に返事をすると、人間の会話のような抑揚をつけて応答してくる。鳴き方のバリエーションも豊富になって、どうも自分では、人語を喋っているつもりらしい。こちらの思い込みかもしれないが、黙って目で訴えるときの表情とか、不満そうにため息をついたりするしぐさなど、年々人間っぽくなっているような気がする。

 みどろは完全室内飼いで、人見知りが激しく、家族(わたしと家内)以外の人間にはほとんど気を許さない。たまに来客があると、パトロールよろしく様子を見にきて、シャアッと威嚇(いかく)のポーズだけするが、すぐ腰が引けてそれっきり隠れてしまう。お客さんが帰る段になって見送りに出ると、決まって玄関の靴がもみくちゃになっている。

 家族の前では臆病で、甘えん坊の娘なのに、外の人からは気性の荒い、乱暴な猫だと思われているようだ。かかりつけの動物病院で診察を受けるときは、厚い皮の手袋をはめた助手さんも含めて、いつも三人がかりの修羅場になる。体を触るだけで大暴れするので、ある時期から袋状の網に入れて病院へ行くのが習慣になった。

 あまり病気をしない健康優良猫だったが、去年の六月、背中に変なコブができ、悪性腫瘍(しゅよう)の疑いがあるというので、切開手術を受けることになった。入院も含めて四泊五日の大手術で、その間、わたしも家内も気が気でなかった。入院中、二度面会に行ったけれど、四六時中鳴きどおしで、餌にはいっさい口をつけず、点滴でしのいでいるという。わたしと家内が呼びかけても、最初は病院の人と見分けがつかず、嗄(か)れきった声で見境なく威嚇するのみである。

 それでも二度目の面会では、飼い主だと気がついてくれた。相変わらず声は嗄れているが、明らかに顔つきが変わり、早くお家につれて帰ってと要求するポーズになったのだ。その日はまだ退院できなかったけれど、病院から帰る道すがら、家内とふたりで、もうすぐ迎えにくることをみどろはちゃんとわかってる、と励まし合ったのを覚えている。

 退院後も一週間ぐらい熱が引かず、しんどそうにしていたが、自分の家で家族と一緒にいるのがいちばん落ち着くのだろう。やがて回復して、いつものみどろになった。

 一難去ってまた一難。病理組織検査で、やはり悪性の腫瘍(線維肉腫というらしい)だったとわかり、早めに切ってよかったと胸をなで下ろしたのも束の間、今年の三月、背中の同じような場所にまたコブができて、再手術になった。こちらもある程度気構えができていたので、前回ほど大騒ぎはしなかったけれど、小さな老体に手術の負担は大きい。言葉で説明できないぶん、三度四度と繰り返すのは、人間以上にかわいそうだ。

 みどろが九歳のとき、「猫の巡礼」という短編小説を書いたことがある。老いた飼い猫が前半生のケガレを祓(はら)うため、富士山の麓にある猫の聖地へおもむき、身も心もリフレッシュして帰ってくるという筋立てだ。根も葉もない、荒唐無稽なフィクションなのだが、今は本当にそういう場所があればいいと思う。わがままで気むずかしい寝たきりの婆さん猫になっても、長生きしてくれればそれでいい。




法月綸太郎 (のりづき・りんたろう)
作家。1964(昭和39)年、島根県生まれ。京都大学法学部卒業。88年、『密閉教室』で江戸川乱歩賞候補となり、島田荘司氏の推薦を得てデビュー、新本格ミステリの一翼を担う。2002年、『都市伝説パズル』で第55回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞。05年には、『生首に聞いてみろ』で第5回本格ミステリ大賞を受賞。著書に『法月綸太郎』シリーズ(講談社)、『犯罪ホロスコープ』(光文社)等多数。最新作は『キングを探せ』(講談社)。文中の「猫の巡礼」は『しらみつぶしの時計』(祥伝社)に収録されている。