「猫の領分」     南木佳士(作家・医師)


 十五年間一緒に暮らしたサバトラ雄猫のトラが死んでもう三年になる。骨を埋めた坪庭には妻が小さな陶製の猫の置物を据えた。縁が切れたものにそういうことをすると未練が残るだけじゃないかい、とささやかに反対したのだけれど、トラをなくしてからの妻はひどく涙もろくなり、いわゆるペットロス症候群に陥りそうだったから、強くは言わずそのままにした。

 坪庭にはモミジ、アセビ、ツツジなどの木々と、フクジュソウ、クロユリをはじめ、妻好みのあまり派手でない花が植えられている。トラの命日は四月二十六日で、春の遅い信州ゆえ、その前後には木が芽吹き、花が咲いて、ひとのものを含めてこれまで知るかぎりでもっとも永眠にふさわしそうな墓地になった。

 今年の春は沖縄で仕事をしている次男がちょっとした病気で那覇の病院に入院したため、妻は無事を祈って熱心にトラの墓のまえで手を合わせていた。

 総合病院の内科勤務医と作家生活をうまく両立させていたつもりだったけれど、生身のからだに頭で了解しただけの過剰な負荷をかけ続けるのはしょせん無理で、三十八歳の秋にパニック障害を発病し、以後は長引くうつ病に苦しめられた。そのころ次男は小学生になったばかりで、急に元気をなくした父親をまえにしてとまどうばかりであったろう。その後、彼は晴れやかな父親の顔を一度も見ないまま地元の高校を卒業して家を離れた。

 反面教師とはよくいったもので、次男は北国の大学で医学を学んでいたころにうつ病の芽生えがあったのではないか、との父親の弱よわしい独白を鋭く聞きつけ、ならば、ということで沖縄の看護大学に進学し、保健師になった。

 死なないでいるだけで精一杯の父親がいるために、家族旅行にも一度も出かけない家にあって、二人の息子たちがいちばん気をゆるして付き合える家族がトラだった。トラは父親が発病したころに野良の母猫に連れられて家の庭にやってきて、そのまま置き去りにされた。(このあたりの事情は拙著『トラや』を読んでいただければ幸いです)

 名作『ノラや』を書いた内田百閧フ奥さんの証言では、ノラが家出をするまで、百關謳カはそんなにノラをかわいがっていたわけではなく、ときにはうっとうしげに接していたそうだが、『トラや』の著者もまったくおなじだった。

 あるとき、長いことしつこい咳がやまずに体調が悪く、こたつにもぐりこんでいたらトラが腹の上に載ってきたから、思い切り咳を吐きかけてやった。風邪はだれかにうつせば治るのだという迷信を信じたくなるほど滅入っていたのだった。数日してこちらは治り、トラの鳴き声は哀れにも枯れ果てた。うつ病患者として腫れ物に触るように接してきてくれた妻だったが、このときばかりは、猫に風邪をうつしてじぶんだけ生きのびようとする根性はさもしい、と本気で怒った。

 トラの骨を坪庭に埋めるとき、そういうことどもが一気に想い起こされ、からだの芯からおのずと湧きあがってくる涙を抑えられなかった。

 トラの死後、いつからか近所の、これもサバトラ雄猫が庭に来るようになった。木にとまる小鳥のさえずりがうるさいといっては短く鳴いて威嚇し、絶えず前脚を動かしている神経質な猫だが、台所の裏口に来て煮干をねだり、家人の反応がないとすぐ庭のほうにまわる頭のよさがあった。これはトラにはみられない行動だったから、妻と二人で、神経質で頭がよいのと、おっとりしていて頭が悪いのと、猫もひともどちらが幸せなのだろう、と常に問いあった。

 その利口な猫が、今年の春、べつの猫と喧嘩して敗れたらしく、ぷっつりと姿を見せなくなった。そうなると哀れになって、戦いに勝ったらしい黒猫を見かけるとしつこく追って行って敷地から出した。おとなげないのを自覚しつつも、下駄を突っかけて懸命に走って追い払うのだった。

 数ヶ月してひょっこりあらわれた利口な猫は急に老けており、なんだかおどおどしていた。

「いいんだよ、ゆっくり食べていけば。ここはあなたの領分なんだから」

 妻が話しかけながら煮干を与えている。

 若い猫との戦いに敗れた老猫の姿にわが身を重ねていたたまれなくなり、久しぶりにトラの墓の前にしゃがんで手を合わせ、昨年の落ち葉を拾って周囲をきれいにした。

 とても狭いけれどいつも静かなトラの領分の上に薄紫のツツジの花がゆっくり舞い落ちてきた。



南木佳士(なぎ・けいし) 1951(昭和26)年、群馬県生まれ。現在、長野県佐久市に住む。総合病院の内科医勤務の傍ら小説を書き、八一年「破水」で文學界新人賞、八九年「ダイヤモンドダスト」で芥川賞受賞。翌年、パニック障害、うつ病を発病し、快復のきざしのみえた五○歳から山歩きを始める。2008、9年、山の小説集『草すべり その他の短編』で泉鏡花文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞を重ねて受賞。著書に『阿弥陀堂だより』『医学生』『生きのびるからだ』『トラや』(いずれも文藝春秋)などがある。