「ごんちちゃん」      池田理代子(劇画家・声楽家)


 私の母は、小柄だがとても芯が丈夫で、こまめによく動く働き者で、八十七歳という高齢の今も一人で食事の支度をして暮している(もっともこの頃では、近くに住む妹が時々おかずを作っては届けてくれているのだが)。反対に、がたいのしっかりしたスポーツ万能の父のほうは、何故か病気入院することが多く、母の人生は「まるでお父さんの看病をするためにあったみたいだった」とぼやいた通り、最後まで父の看病をして看取ることとなってしまった。

 こういう親の体質というのは子供にも遺伝するのだろう。四人兄弟の中では圧倒的に父親似の私は、本当に病気や入院の多い人生だった。これから先のことを思えば戦々恐々、出来れば程よいところであまり人様に迷惑をかけないうちにこの世とおさらばできると有難いのだが、などと考えてしまう。


 さて、ねこちゃんでも、やはり長く生きていて病気ひとつしない子もあれば、次から次へと獣医さんのお世話になって手術や入院を繰り返す子もあるようだ。

 まさにうちのごんちちゃんは後者のタイプだったらしく、最初の不妊手術も含めると十歳にして既に四回も体にメスを入れている。

 肛門腺などという臓器がねこちゃんにあると知らされたのも、ごんちちゃんのそれが破裂したからである。

 ある日階段を上がったら目の前に、ごんちちゃんのでっかく穴が空いていたお尻があって、飛び上がるほど驚いてしまった。


 先だっては肛門に何だかぽちっと小さないぼのようなものが出来ているのだ、「痔じゃないかと思うんですけど」と、いつもお世話になっているアリーズ動物病院へ連れて行ったら、診察された先生の表情が少し曇って、「ちょっと細胞をとって検査をさせて下さい」とのこと。「えっ、痔でも細胞検査なんてやるんですか?」「悪性腫瘍かもしれません」そっ、それって……癌ってことですかい!?

 目の前が真っ暗になる。 「悪性だった場合、場所が肛門なので、あまり大きく手術で取ることが難しいので、その分、再発の危険性がまします」うそだ、こんなことが現実であるはずがない……!!

「それで、手術が成功したとしても、その後抗がん剤を投与するかどうか、どういう治療をしていくかを決めなくてはなりません」わっ、私が決めるんですか!?

 この日から、私の中で人生の意味あいが微妙に、しかし大きく変わった。 これまで六十年間、辛いことも悲しいことも厳しいこともずいぶんあったが、すべては自分の人生のことであり、自分で選択して責任を取ればよいことであった。

 それが、子供も持てなかった私が、一匹の猫の(なんてとんでもない、一人の十歳の可愛い女の子の)人生の生死や質に関わる決定をしなくてはならない事態に直面したのだ。

 こんなまーるいおっきな目をした、無邪気な可愛い子が、放っておけば遠からず死に至るような病を背負ってしまったなんて、私にはそれがなかなか受け止めることができなかった。

 ただ、彼女の生命の営みは神の御行であるとは言いながら、その命をどうより良いものにしてあげるかという責任は、私のこの肩にかかって来てしまったのである。

 それは同時に、自分の人生の中においても、何が一番大切なものなのか、何をそぎ落としていきるべきなのかが、すーっとわかってしまった瞬間でもあった。そのときから私の中で、精神のバランスがおおきく変わった。


 ごんちちゃんの手術は、先生の素晴らしい腕のおかげで、これ以上ないほどの状態で成功裏に終わったのだが、神様から預けられてしまった命とどう向き合っていけばいいのかという試練は、今まだ始まったばかりである。

 

池田理代子(いけだ・りよこ) 劇画家、声楽家。東京教育大学(現筑波大学)文学部哲学科中退。1995(平成7)年47歳で東京音楽大学音楽部声楽科に入学、99年卒業。72年から少女週刊誌に連載された『ベルサイユのばら』は1500万部以上を売り上げ、74年には宝塚歌劇団で上演されるなど、現在も高い人気を得ている。『オルウェウスの窓』で日本漫画家協会優秀賞受賞。著書多数。現在は作家、エッセイスト、ソプラノ歌手としても活躍中。